
勉強好きが講じた訳ではありませんが私は高校生活を4年過ごしました。学生運動華やかなりし1970年代私のクラスは学内闘争で全滅。処分は無期停学!旧友は他の高校へ編入学や翌年再受験で他高校を受験。私は校長先生の配慮でクラスメイトの何名かと同高校の定時制に編入学しました。条件は定時制生徒と同じく昼間は勤労することでした。
定時制の「石鹸」とあだ名される石崎健一先生侍史に大阪大学微生物研究所付属病院婦人科を紹介してもらいました。ご婦人特有の乳がん・卵巣がん・子宮がんなどの研究のために動物実験のラット・マウス・ハムスター・馬・牛の飼育係りです。朝10時勤務開始・終業は夕方4時。土曜日は半ドンで給与も待遇もよく6月には4ヶ月余りの賞与なるものを頂きました。迷惑を掛けた母親に全部渡した記憶があります。
翌年、新一年生と再入学するまでの10ヶ月研究所と定時制に通いました。最年長で40歳のご婦人が生徒でおられたり、それぞれの事情多き人々でした。人生の中で一番辛酸を自ら舐めた時代です。かれらのあくなき人生の戦いに多くを学びました。翌年、再入学しても定時制のクラスメイト達は厚い友情で私を支えてくれました。卒業後も同窓会に招待してくれます。全滅のクラスも同様に同窓会をします。もちろん無事卒業できたクラスの同窓会も出席しています。3つの同窓会と三人の恩師を持つ私です。今度の6/28は無事卒業したクラスの同窓会があります。一つ年上だったあの頃の私はしゃにむに出会った上方芸能研究と司馬遼太郎に埋没していました。人生、負い目に伏せることなく最後の最後に自身が勝つ不屈の学びをさせていただいたことを感謝しています。
余談ですが社会保険庁の年金おしらせ便を貰ったとき10ヶ月の微生物研究所勤労の実績が発見され年金加算されました。不思議で戸惑った気持ちです。
本日の読書:1/425冊目 堺屋太一著 日本革質 PHP
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